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2019.5.30

アートのように酒を愉しむ?日本酒ビギナーこそ通い詰めたい「桑原商店」の世界

桑原商店

奥の深い日本酒の世界。しかし、誰だって初めは初心者。他人の評価や説明で頭をいっぱいにするよりも、まずは自分で飲んでみないことには始まらない。「桑原商店」はそんな日本酒の世界への入り口にベストな店である。

「このお酒は、大正時代創業の山形の蔵元で作られていて、しっかりとした辛味と桃のような香りが特徴です。それに比べてこっちは比較的新しい蔵元の10年ものの熟成酒ででも甘みはそこまで……なんて説明されて、本当に自分の好みかわかりますか?」

100年以上続く酒店「桑原商店」の4代目・桑原康介さんはそんな風に切り出した。

え・・?なんと?

「味や香りの感じ方なんて人それぞれだし、甘い辛いの基準だってバラバラ。結局日本酒は、自分で飲んでみないとどんな味かも自分の好みもわからないと思うんです」。

確かに、うんちくより「実際、美味しいの?」が実は気になるのがビギナーの本音。

「その『自分で飲んでみる』の一歩になれば」。

そんな想いから、倉庫だった物件を家族総出で約1年かけてセルフリノベーションし、イートインスペースを併設した販売兼飲食店にリニューアルした。

新生「桑原商店」では、店で販売する酒のうち約40種類を、ぐい呑1杯分の30mlから角打ちスタイルで飲むことができる。

五反田駅からのびる国道1号線を一本折れた細い路地。ガラガラと引き戸を開けると、レトロなテーブルに姿を変えた3段積みの黄色い瓶ビールケースが目に飛び込んでくる。さすがは元倉庫なだけあって広々とした“庫内”。天井が高く、開放的だ。

まるでカフェかギャラリーかのような空間設計を手がけたのは「スキーマ建築計画」の長坂常さん。弊社でも紹介している「ブルーボトルコーヒー」や「東京都現代美術館」に携わっていることで知られる長坂さんならではの、スタイリッシュな空間に驚く。

倉庫で使っていたスチールラックのひとつをそのまま商品棚に使用し、日本各地から取り揃えた缶詰や乾物などの加工食品、調味料などを並べる。もうひとつのラックの天板には大理石を敷き大きなテーブルに。そして何と言っても目玉は、店の奥に堂々とそびえ立つ巨大ショーケースだろう。

幅4.2m×高さ2.3m×奥行2mもある冷蔵ケースの中には、まるで美術品のコレクションを展示するかのように常時200種類前後の日本酒が美しく飾られている。ライトアップされたボトルやエチケットが色鮮やかに輝き、そのデザインの多彩さに驚く。眺めるだけでも楽しい。もちろん管理状態は徹底している。ケース内の温度は3〜4℃に保たれ、中のライトだけでなく店内の照明も全て日本酒が劣化しにくいLEDを使用しているのだそう。

「アート作品を扱うように、大切に扱っています」と、桑原さん。

実は、桑原商店4代目である一方「越後妻有アートトリエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」をはじめとする数々の芸術祭の企画などを手がけ、自らもギャラリーを運営するなどアートに長く携わってきた。販売する日本酒や食料品は全て、これまで桑原さんが全国各地で出会った生産者のものや自身がブランディングを手がけたものなど、縁がある品だそう。

「生産者がアーティストで、日本酒や食品はアート作品、ここはギャラリーみたいなものでしょうか」。

この店は、いわば彼が主催する酒とアテの企画展だ。丹精こもった作品の魅力を、いかに伝わるように魅せ実際に楽しんでもらうか。ギャラリーの意義は大きい。

この店の日本酒の楽しみ方はちょっとユニークだ。あえて店から「イチオシ」「おすすめ」を提示することもなければ、「〇〇賞受賞」といった他人の評価も見せない。ショーケース内の並びにルールもなく、スパークリングも辛口も甘口も、度数が高いものも低いものも、混在する。

「アートって専門家がいかに評価しようと、自分の感性に合うか合わないか、価値はその一点に尽きる。お酒も同じように、美味しいと思うかを自分で判断して好みや楽しさを見つけてほしいんです」。

ショーケースをじっくり眺めて、 “ジャケ買い”するのもおもしろい。もしくはその日の体調や気分を桑原さんに相談してみてもいい。

「味覚は人それぞれなので味の好みをいわれても同じ基準で勧めるのは難しいですが、『すごく疲れてて癒されたい!』とか『こってりしたものを食べてきたのでスッキリしたい』とか、気分や感情を教えてもらえれば、お手伝いしますよ。1つ飲んでもらって、それを基準に提案することもできますし」。

「津軽産 海峡サーモン」(写真左)と「あん肝の味噌漬け」(写真右)

とにかくまず、飲んでみるのがスタートライン。

気になったお酒を同時に飲み比べたり、自由に燗にしたりもできるのも桑原商店ならでは。会計はキャッシュオンスタイルで、料理も全て一人前ほどの量なのはありがたい。なんとなく通の人に遠慮しがちな日本酒の世界だが、飲みたいお酒を誰に気兼ねすることなく好きに飲めるなんて、初心者には願ってもない場所だ。

この日選んでもらったのは、注目の日本酒ブランド、日本酒応援団の「AGEO」や、ビートルズを聴かせて造られた「Beau Michelle(ボー・ミッシェル)」など、話を聞いているだけで楽しい、興味がそそられるものばかり。

アテは、商品棚に並ぶ各地の食品を提供する。料理にも必ず一手間加えるのは、きちんと美味しく美しくお客様に楽しんでもらうため。作品を預かる生産者への敬意の表れだ。桑原さんの口からは、お酒や食品を造る人々の熱い想いや産地の自然の素晴らしさが次々と語られる。

そんな話を聞きながら実際にお酒と肴を味わい、気に入ったものはもちろん購入して帰れる。

だが、桑原さんは必ずしもここでたくさん飲み食いしたりお酒を買って欲しいわけではないという。

「うちは100年続いてきた酒屋。だからこそ次の100年に向けて、新しい酒屋のあり方を常に考えています。極端な話、店に来るのはたった1回だけでもいい。買って帰るのが重たければ他の店やネットで買ってくれてもいい。ただその買うという行動や、気に入ったお酒を他の店で飲んだり人に勧めたりするきっかけになる場が、まずは必要だと思っています」。

 

日本酒を自分自身の感性で楽しむギャラリー「桑原商店」。日本酒入門の際には、この店の扉を叩くことをぜひ勧めたい。

 

取材・文 : 山本愛理