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2019.12.23

人それぞれの「ひとり時間」を有意義にしてくれる。神保町「眞踏珈琲店」

眞踏珈琲店

「眞踏珈琲店」は、静かにひとりで本を読みたい人と、マスターや他の客との会話を楽しみたい人が時を同じくできる珈琲店。誰もが過ごしたいように過ごせるこの店で、自分なりの時間を思う存分に楽しもう。

古書店街として知られ喫茶店文化が根付く街、神保町。「ラドリオ」や「さぼうる」などの老舗喫茶店が今もなお愛され続けるこの街に、「眞踏珈琲店(まふみ こーひー てん)」は2016年にオープンした。レンガ造りの特徴的な外観に惹かれつつも、重厚な雰囲気が漂う一枚扉を開けるのは少しドキドキする。

中央のレバーをゆっくりと引く。真っ先に目に飛び込んでくるのは2階へ続く細い階段、そしてその脇をびっしりと埋め尽くす本だ。「珈琲店」の看板を見て扉を開けたはずなのだが、もしかして古書店と間違ったかと思うほど、年季の入った本が大量に並ぶ姿に思わず驚く。

「いらっしゃい」。声がして、店の奥へと長く伸びたカウンターから、シャツとベストに身を包んだマスターの大山眞踏さんが出迎えてくれた。彼の前の席にはコーヒーを手にする常連と思しき先客が。微かな紙の香りの中に、香ばしいコーヒーの香りが漂ってきた。やはり珈琲店で間違いないようだ。

「昔からとにかくコーヒーが好きで」と語る大山さんは、以前は社会学の研究に携わっていた というユニークな経歴の持ち主。店を始める前から自分で小さな焙煎機を作り自宅で豆を焙煎をしていたという。「ときどきいるじゃないですか、プロ並みの趣味を持つアマチュアの人。ああいうタイプです(笑)」

とは大山さん。根っからの研究者気質なのだろう。

コーヒーが飲める店の中でも、彼が夢中になったのが昔ながらの喫茶店だったという。さまざまな店へ足を運んだが、毎日のように通っていたのが青山の「蔦珈琲店」だ。

「コーヒーが抜群に美味しかったんです。それと、カウンターでコーヒーを淹れてくれるマスターとの会話もすごく楽しくて。だから長いカウンターがある店にしたかったんですよね」

会いたい人がいる喫茶店」記事でも紹介した蔦珈琲店。あのカウンターの独特のコミュニティを魅力に感じている人が確かにここにいた。

隣り合った見知らぬ人同士が、マスターを介して自然と繋がっていくのがおもしろいと話す大山さん。

「当時、蔦珈琲店で肩を並べるのは40〜70代の男性がほとんど。普段の生活では出会わないような、職業も趣味も異なる人たち ばかりでした。お酒を嗜む人はバーや立ち飲み屋でそういう出会いがあるかもしれませんが、飲まない人にはない。この店も、居合わせた人といい時間を共有できる場でありたいと思っています」

「珈琲 琥珀」。扱う豆は自家焙煎の「ブラジル・サントスNo.2 スクリーンNo.19」1種のみ。

カウンター越しに大山さんと話をしているうちに、当時の彼の姿と重なってくる。大山さんやスタッフとの会話を通して、いつの間にか、それぞれひとりで訪れていたはずの客と言葉を交わしているのだ。並びの客ともカウンターの向こう側のスタッフとも同じ目線で話せる、付かず離れずのいい距離感。「テーブルが少し狭いので、本当は物理的な距離をもう少し離したいんですけど(笑)、構造上限界で」。大山さんはそう冗談ぽく笑うが、客にとっては彼とのこの距離での会話こそ、楽しみのひとつなのだろう。

惚れ込んだ蔦珈琲店で4年間勤めた後、「自身の店を」と決めた大山さんが、絶対条件だったというのが「美味しいコーヒー」と「気のいいマスター」。そこにプラスアルファのアイデンティティとして加えたのが本だという。4000冊以上もある店内の本はすべて自身の蔵書だ。研究論文から漫画、小説と実に幅広い。大量の付箋が貼ってあったり書き込みやアンダーラインがあったり、なんだか彼のプライベートを覗き見ているようでこちらがくすぐったくなってくるが、古書の醍醐味といえるだろう。

そんな本を追って2階へ上がると、不思議なほどに空気が変わった。1階にいるときは気がつかなかったがここにも先客が。ただ黙々と、本を読んで過ごしている。

「2階は図書館のように、読書に没頭したり静かに過ごしたりする人が多いですね。私語厳禁とも本を読むための店とも謳ってないんですけど、皆さん自然と小声になるみたいです(笑)」

ときどき扉が開いて客がやってきては、見知ったように1階か2階かを選択して進んでいく。すでに、それぞれのこの店の自分の過ごし方が決まっているらしい。「眞踏珈琲店」に来ることによって、ゆるやかに皆、“豊かなひとり時間”を過ごしている。

生花のように美しく盛り付けられる「ルッコラの海に溺れるクロックムッシュ」。フードは他に、カレーとケーキが数種類。

大山さん自身に喫茶店の楽しみ方を聞いてみると、なかなかに独特な答えが返ってきた。

「僕の場合、注文してコーヒーが出てきたら1分ほどで飲み干して、すぐ店を出ます。店にいるのは10分足らずでしょうか」

喫茶店に行く目的は人それぞれだ。打ち合わせ、時間潰し、美味しいコーヒーや食事、喫煙、読書……。だから彼自身も、ここで客に何かを押し付けることも否定することもない。

「僕たちと他愛ない話をするもよしひとり静かに本を読むもよし。10分で帰るも3時間過ごすも、お客さんの自由です。コーヒーが飲めない人にも来てほしいので、紅茶やクリームソーダなども用意しています。ただ時間を同じくしたお客さん同士、お互いに気持ちよく過ごしてほしいですね」

気づけば、先程まで楽しそうにスタッフと話していたはずの客が黙って書き物を始めた。すると自然と隣の客は本に視線を落とし、スタッフは静かに仕事に専念する。シチュエーションが変わっても、やはりいい距離感が保たれている。

本が好き、コーヒーが好き、話が好き。どんな人も過ごしたいように過ごせる眞踏珈琲店。どれかひとつでも思い当たるふしがあるなら、この店の扉を開けてみることをおすすめしよう。

 

 

取材・文 : RIN