HOME WELL BEING KABUTOCHO(兜町の旅の今) 吉沢亮と歩く、日本橋兜町。新旧の魅力が混在する注目のローカルタウン
吉沢亮と歩く、日本橋兜町。新旧の魅力が混在する注目のローカルタウン

吉沢亮と歩く、日本橋兜町。新旧の魅力が混在する注目のローカルタウン

発展著しい東京・丸の内。その隣には江戸時代から続く老舗が並ぶ日本橋。さらに奧に進むと、石張りの重厚なオフィスビルの街並みに迷い込む。その静かでずっしりとした空気が流れる街こそ、2021年注目の街・日本橋兜町だ。兜町は、渋沢栄一の街といっても過言ではない。2024年発行の新一万円札の顔であり、今年の大河ドラマ「青天を衝け」(NHK)の主人公として注目されている。渋沢栄一の偉業と痕跡を、まさに「青天を衝け」で渋沢栄一を演じる時の人・吉沢亮と一緒に歩いてみた。

まずは渋沢栄一という人について簡単に説明しよう。

写真提供:埼玉県深谷市

渋沢栄一は、江戸時代末期に武蔵國(現在の埼玉県)の富裕な農家に生まれた。かの一橋慶喜(後の江戸幕府15代将軍・徳川慶喜)に仕え、幕臣としてパリ万国博に派遣。明治維新後は民部省に勤めて貨幣や銀行の制度の調査立案を手がけた。退官したのち、第一国立銀行(現みずほ銀行)、東京海上保険(現東京海上日動火災保険)をはじめ約500社の設立にかかわり、「日本の資本主義の父」と呼ばれる。そんな彼が30-40代、まさに黎明期に過ごしたのが日本橋兜町だ。この兜町に住居を構えて銀行・保険・証券など500を超える会社の設立に携わるなど、精力的に活動していった。

まずは吉沢さんと一緒に街歩き。渋沢が設立した銀行や証券会社は、その建物のほとんどが関東大震災で消失してしまったものの、復興の過程で建てられたレトロなビルがいまでも沢山残っている。吉沢さんも街を歩きながら昭和初期にタイムスリップしたような感覚を味わっていた。さながら、兜町を闊歩する証券マンをイメージして1枚。背景に写るのは、渋沢栄一が設立した東京株式取引所(現:東京証券取引所)であり(写真左)、昭和10年築というレトロな石張りの建物(フィリップ証券)がならぶレトロな街並みだ。

そして、渋沢の軌跡のシンボルとも言える存在が日証館だ。

こちらの建造物は、古典様式風の三層構成、入口と最上階のアーチ窓の対比など、優れた外観意匠となっている。

さて、今回は、この建物を始め、兜町の主要な建築を所有・管理する平和不動産の土本清幸社長から直接、吉沢さんに歴史をレクチャーしていただいた。

現在、日証館の建つ場所には、明治21年に建てられた渋沢栄一の本邸があり、設計は日本近代建築の巨匠、辰野金吾だった。日本橋川に沿って建つベネチアン・ゴシック様式の建物は、完成当時もかなりの話題になったという。しかし、関東大震災で消失。昭和3年に現在の日証館が建てられ、築100年近い現在でも現役のオフィスビルとして使用されている。

そしてエントランスには渋沢栄一にとてもゆかりのある「赤石」が鎮座している。

赤石は誰でも見学可能。

「赤石」は、渋沢栄一が日本経済の発展を祈念して佐渡から自宅に運び寄せたという巨大な縁起石。渋沢が兜町の邸宅から引っ越した後も大切に所蔵していたとされ、彼のバイタリティ溢れる活動の源であり、後世においても商売繁盛のゲン担ぎとして愛されている。吉沢さんも400㎏を超えるその重厚さに驚嘆しつつ、直に手に触れ、渋沢栄一のエネルギーを感じ取っていたよう。

続いて訪れたのは東京証券取引所。渋沢栄一がフランスに滞在した折、近代日本の発展のためには資本主義を動かす制度・組織が必要だと痛感した。そうした動機から、帰国後、強い想いを持って東京株式取引所の設立を主導したという。

東京証券取引所
熱心に話を聞く吉沢さん

普段は見学ツアーも実施されている観光スポットだが、コロナ禍によりツアーは休止中。今回は特別に中を案内していただいた。円形の電光掲示板が目印のマーケットセンターや、株式上場の式典に使われる祝鐘など、ニュースでもお馴染みの光景は吉沢さんにとっても初めての訪問ということで、少し興奮気味の様子。取引所設立の歴史やその背景を社員の方から熱心に聞いていた。

その後、令和の現在を象徴する複合施設K5を訪問。

K5

歴史を感じさせる重厚な造りながらハイセンスなインテリアが楽しいホテルや、渋沢栄一の書斎をイメージしてつくられたというバー「Ao」を訪問。

金融の街からカルチャー&クリエーティブの街として進化を続ける街の息づかいを感じ取っていた。

時の人・吉沢亮と歩く、時の街・日本橋兜町の旅。その独特で深みのある街並みを歩きながら、明治から続く歴史と、新しいクリエイティブが生まれる未来をぜひ感じ取って欲しい。

大河ドラマ『青天を衝け』(NHK)

2月14日より放送開始する大河ドラマ第60作。主人公は、新一万円札の顔としても注目される渋沢栄一。今回Harumari TOKYOにご登場いただいた吉沢亮さんが主役を演じる。幕末から明治へ。時代の大渦に翻弄され挫折を繰り返しながらも、青天を衝くかのように高い志を持って未来を切り開いた渋沢栄一の生涯に注目だ。

江戸〜令和、街の変遷を辿る 日本橋兜町クロニクル

1590
江戸開府誕生
隅田川河口部の砂洲を埋め立てたことによって兜町地区が誕生する

「よろゐの渡し」(安藤広重)/国立国会図書館デジタル化資料

1603
木製の初代、日本橋が架けられる

1624
摂社日枝神社が赤坂・日枝神社の御旅所と定められる

1704
坂本町1、2丁目が成立

1868
江戸から東京へ名前が変わる
武家屋敷が消え、政府が公共建物を建設していく

1871
兜町周辺の土地を三井家が受け取り、「兜町」と名付けられる
駅逓司(現日本郵政)東京の郵便役所(現東京中央郵便局)が設立され、近代の郵便事業がスタートする

1873
日本初の銀行、第一国立銀行を設立する

「江戸橋ヨリ鎧橋遠景」/中央区立郷土天文館「タイムカード明石」

1878
東京証券取引所の前身、東京株式取引所が誕生
兜神社が創建される

1888
渋沢栄一の兜町邸宅が建設される

旧渋沢栄一兜町邸宅/中央区立京橋図書館

1911
現在のルネサンス様式の石橋に日本橋が架け替えられる

1923
関東大震災により兜町一帯は焼野原になる
震災を契機に耐震耐火の建物が建築され、近代的な街並みに生まれ変わる

関東震災画報

1928
旧渋沢栄一邸の跡地に日証館を建設する

1943
全国に11あった株式取引所を統合し、日本証券取引所を設立
東京株式取引所はその本所となる

東京証券取引所/日本取引所グループ

1945
終戦に伴い証券取引所の立会が停止

1946
戦後、証券取引所ビルが米軍に接収

1949
GHQの承認を得て証券市場が再開

1963
日本橋上空に首都高速道路が完成する

1988
建物の老朽化による建替が完了し、現東京証券取引所ビルが全館竣工。

1999
株券の電子化やインターネット取引により、人手による東京証券取引所株券売買の立会場が閉鎖
以降、証券会社の移転がすすむなど、街の様相が一変する

東証アローズ/日本取引所グループ

2011

兜町・茅場町再開発が推進開始

2014
兜町・茅場町再活性化プロジェクトスタート

2020
第一銀行ビルをリノベーションしてホテル「K5」を開業

K5

一部表記に誤りがありましたので修正いたしました(2/15)