時代やライフスタイルが刻々と変化するなか、結婚のカタチもそれに合わせて多様化している。中にはいわゆる法律婚といわれる正式な結婚制度ではなく、自分らしい結婚スタイルを確立している人もいて、そのカタチは家族であることと何ら変わりがない。当連載「結婚観を先輩に聞け!」ではそんな独自の結婚観を貫く人々を取材し、多様な幸せのあり方を考える。 今回は、どんな結婚のスタイルを選んだとしても直面する、結婚生活のルールにフォーカスしたい。それを、結婚前の一番“盛り上がっている時にこそ”書面というカタチに残すことを推奨しているのが歌手のSILVAさんだ。メリットしかないという噂の「婚前契約」について話を訊いた。
「私もパートナーも2回の結婚なので、結婚に対して夢や理想より、現実的にどんな問題が起きるかなどをよく理解していたと思います。結婚するときは盛り上がるけれど、別れるのはすごく大変。しかも別れることを決めてから細かいことを話し合ったりしなければいけない、そのストレスはすごいですよね。一度愛した人なのに、ストレスがすごくて別れ方がスマートじゃなくなってしまうのは悲しい」
1回目の結婚を経て3年間ほどニューヨークに住んでいたSILVAさん。結婚のあり方やカップルのリレーションシップについては、何か変えたいと思っていたのだという。
ニューヨークは同性愛者も多く、パートナーシップ制度を組んで生活しているカップルによく出会ったのだそう。結婚まではしないものの、同じ屋根の下に暮らすなどパートナーとして生活しているカップル。人種のルツボといわれるニューヨークでは、肌の色・出身国などバックグラウンドが違う同士のカップルなんてごくごく普通のことだ。
「細かい生活様式のこと、気持ちのこと、財産のこと、仕事のこと…。辞書か!っていうくらい分厚い契約書になってしまうくらい膨大な項目の取り決めを、代理人を通して交わしている人が多かったんです。そんなカップルは、他のカップルより円滑で、何より歩み寄って生活を送っている。小さな喧嘩が全然ないようなんですよ。こういうカップルのあり方っていいなと思いました」
このような経験から、今のパートナーと結婚することになった時にはすぐこの話をしたのだそう。
「パートナーシップ制度を使うか、もし結婚するとしても“契約書”を交わしたいと。価値観をあわせよう、ということではなくて。お互いの違う価値観の中で一歩を踏み出そうとしたという感じでした」
友人でも、恋人でも、親ですら価値観は人それぞれだ。頭ではわかっているつもりでも、日々の距離が近い人ほど、相手も自分と同じ価値観であると錯覚しがちになる。
「だからこそ、“違う価値観を尊重する”ということを口約束ではなく書面に残すってすごく大切なんです」
なるほど、どんなに意識していても、約束を忘れてしまうことはある。だがそれを忘れ、相手が「忘れた」ことを責めてしまう。片方が忘れ、片方が覚えているのは不幸だ。
「でも、ほらここにこう書いてあるよ、と契約書を見せれば済む話なんですよね。だから夫婦喧嘩が大きくならないんですよ。できてないことも忘れることも実際はあります。例えば、家事とか。契約になっているのに。でも契約になっているのにできていないことは、誰がどう見てもできていないことが明白。言った・言わない問題にも、覚えている・覚えていない問題にも発展しない」
付き合いはじめてすぐ、夫となるパートナーにこの話をしたSILVAさん。相手の反応はというと……。
「ドン引きでした(笑)。でも、同性の友人に話してもそんな感じだったので、想定内ではありましたね。確かに、周りにはあまりいないだろうし、『何を縛られるんだ!?』という恐怖ですよね、知らなければ。なのでそこから結婚するまでの期間で、1年半くらいかけて説得しました。メリットやそこへの想いを丁寧に伝えていきましたね」
どの男性とでもそうだが、盛り上がっている時はなんでも話せるカップルが多いだろう。だから恋愛初期のポジティブな時期にこそ、嫌なこと・想定される未来・お互いの価値観を共有すべきだとSILVAさんはいう。
だが、それってすごく勇気のいることなのではないだろうか。
「結婚したい女、結婚に尻込みする男」という構図がステレオタイプの男女関係として描かれることの多い日本。嫌われたくない、という感情が邪魔をしそうだ。迫っている、という印象が強いのかもしれない。
「確かに誰しもに当てはまるとは思わないんですが、そもそも最初にこの話ができない人って“話し合いができない人”ですよね……? 自分の話を聞いてくれない、もしくは自分の話をしてくれない。そんな人とそもそも結婚、できますかね? もししたとしても結婚生活は不幸だし、離婚するのはもっと大変な気がする。自分に結婚したい意思があるなら、早めに話しあった方が絶対いい」
遠慮して“結婚してもらう”わけではない。フェアな関係で生活していきたいのなら、確かにスタートでそこを確認するのは大切なことだろう。
SILVAさんのパートナーも、最初のドン引き状態から、最終的にはノリノリになってくれたのだそうだ。
「“自分の話をして、私の話を聞く”ことがおそらく彼にとってはポジティブになれたんだと思います。それは言うなれば、結婚後の生活を想像をしながらですから、楽しくお互いの具体的なことや考え方を知っていく過程ですからね。たとえば、買い物について。今契約書上で取り決めている、お互いへの相談が必要な金額は2万円。これ何かというと、彼の趣味であるスニーカー収集の話がきっかけなんですよ。彼にとってはそんなに高くはない。でも私にとって、履かない靴の2万円は高い(笑)。その価値観の違いによるボーダーラインは徹底的に話し合いました。“楽しく”ありとあらゆることを話せたのがよかった」
聞いていると良いことずくめの婚前契約だが、本当にデメリットはないのだろうか?
「……いや、本当にデメリットがまったくないんですよ(笑)。本当にいいことしかない。証書をつくるために2万円ちょっと使った、という経済的負担くらいかな……」
「離婚の時に弁護士を立てて20万~30万円払ってやりとりするとかそういうこともないんですよね。不貞行為があった時も、どうするか決めてあるのと、慰謝料などをかなり現実的な金額に設定しているんですよ」
例えば、不貞行為の慰謝料が100万円って安い? 高い?
「バカ高い金額を設定することって、むしろ自分の価値に値段をつける、自分を優位に立たせるみたいな感覚がすごくあって、縛られてる気がします。それってフェアではないと私は思っています。結婚してあげたわけでも、してもらったわけでもない。フェアでありたいんですよ。そして、その話し合いをすることによって、慰謝料の話というよりは、『お金に対する価値観』『家族への価値観』の話をしていたような気がします」
積み重ねた時間と話し合いの一つひとつから、相手の価値観を知ることができたのだという。
「本当に、濃密な会話ができた時間でした。死ぬ時・遺産・介護・宗教の問題に至るまでありとあらゆることを、面白おかしく話せた。自分のことをたくさん話して、彼のことをたくさん聞けた時間は、何よりも濃密でしたね」とその婚前契約をつくりあげる過程の時期を振り返るSILVAさん。生命保険の受け取りを誰にするのか、によって家族への価値観、別れたらペットはどうするのか、の話し合いによって生命への価値観を共有しあった。
表面的には「ぶれない約束事」を決めるためだし、もちろんそのためではあるのだが、それが結果としてお互いの価値観への徹底的な理解につながったのだという。
もうさすがに、7年くらい一緒に生活しているので契約書の内容は頭に入っているというおふたり。それでも、忘れることや、できていないことはあるのだそう。
「例えば記念日について。結婚記念日など、すぐ彼が忘れがちなのですが、一緒に祝うことを契約書に書いているので“ああごめん、忘れていた、守れてなかったな”となります」
これがお互いへの思いやりのひとことのきっかけとなるのだという。
「忙しそうだな、『もうそろそろだよ~』と教えてあげた方が良さそうだなと思えるのも、契約書という目に見えるカタチがあるから」
確かに、契約書に書いていなかったら「忘れていることそのもの」や「毎年祝わなきゃいけないの!?」への怒りで別の問題に発展しそうだ。
肝心の契約書原本は、キッチンの冷蔵庫の横にカジュアルに挟んであるそう。だいたいは頭に入っているが、毎年正月に、更新するかの意思確認はする。だが結局、一度も更新はしていない。
それは、SILVAさんが「濃密だった」と形容するくらい、婚前に徹底的に話し合った内容だからこそ。大事なのはつくる積み重ねの過程なのだろう。そして、“人間は忘れる生き物”だということを認め、カタチに残すことだ。欧米では多いこのスタイルだが、日本で浸透しないのは言葉の強さも影響している。
「『婚前契約書』という文字面が強いし、悪い(笑)。こんな名前じゃなくてもいいらしいんですが、何かいい名前ないですかね? 固く縛るための書類ではないのに、悪いイメージが先行しているので、もっといい名前があれば、日本でもきっと浸透していくと思います」
どんな結婚のスタイルを選ぶにせよ、お互いのことを理解しようとする思いやりを積み重ね、それをカタチにすることが、その後の結婚生活をストレスフリーなものにしてくれる。言葉は重そうだが、とても思いやりに溢れた優しいものに間違いない。
SILVA / 歌手・DJ。1998年にシングル「Sachi」でSILVAとして歌手デビュー。2000年にリリースした「ヴァージンキラー」のスマッシュヒットを機に、その歯に衣着せぬトークが話題となり、バラエティ番組にも進出。2008年からはニューヨークへ拠点を移す。2011年に帰国してからは再び日本で芸能活動を再開。2002年に一度目の結婚を経験。2015年に再婚し、『婚前契約書』を結ぶ。同年に第一子を出産後は、親子で学べる脳育ワークショップの開催や、お粥専門店『Congee Table』の経営など、活動の場を広げている。