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今夜、ザワつく映画たち

話題作には、必ず‘ザワつく’タネがある。美しい映像、ストーリーに隠されたギミック、キャストの壮絶な役作り秘話、語らずにはいられない強烈な何か…。そんな、私たちの心を、そして世間をザワつかせる作品を紹介していく。

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『マチルド、翼を広げ』

マチルド、翼を広げ

第一回は「あっ、この感覚知っている!」という愛情に出会えるフレンチムービー。小さな少女と小さなフクロウの可愛らしいファンタジー映画? と思ったら、えー! めちゃくちゃ奥が深いじゃないか! と驚いてしまう作品なのだ 。

9歳の少女の生き様が、観るものをザワつかせる

主人公のマチルドは9歳。母と2人パリで暮らしている。学校では友だちがいなくひとりぼっち、家では情緒不安定な母を心配する毎日を送っている。映画の冒頭、母親がウエディングドレスを試着して「人生と結婚するわ」とかなんとかワケの分からないことを言って街を歩きまわるシーンがあるのだが、そのシーンからもマチルドがとてもやっかいな環境に置かれているのだと容易に察しがつく。幸か不幸かと問われたならば、確実に不幸な境遇の女の子に見える。

しかしマチルドからは不思議と不幸なオーラは感じられない。それどころかこの映画を観る人は、マチルドを通じて自分と母親の関係をふり返り、母に対する気持ちが湧き上がってくるだろう。9歳の可愛らしい少女と小さなおしゃべりフクロウのファンタジーなのかな……と思わせつつ、マチルドの抱く感情が自分の感情と重なり“自分ごと化”されていく。そう、マチルドという9歳の女の子の存在が、観る者をザワつかせるのだ。

自分のなかにある感情の記憶が蘇ってしまう!

それもそのはず、この映画は監督のノエミ・ルヴォウスキーが母に捧げた自伝的物語でもあるそうで、ルヴォウスキー監督の「自分の映画は社会学的な意味でのリアリズムに基づいたものではないが、感情のレベルではリアルな映画である」という言葉からも感情に重きを置いて描いているのは明らかだ。もちろん、観る者とマチルドとは境遇や環境は違う。それでも「この感情は知っている」「この感情を抱いたことがある」そんなふうに自分のなかにある感情の記憶がぞくぞくと溢れ出てくる。

たとえば、マチルドが頼りない母を守ってあげたいと思ったり、母に心配をかけまいと手の掛からない子であろうとするシーン。ほかにも何だかんだ言ってもやっぱり子供だよね、という一面も描かれる。夜になってもなかなか帰ってこない母を心配して時計とにらめっこしてイライラしたり、こんなに私が頑張っているんだからたまにはかまってよ! と母の愛情を確かめたくてヒステリックになったり、そういうヒリヒリする感情が「あぁ自分にもあったなぁ」と気づけば思い出に浸っているではないか。マチルドから発信される感情にこちらの心が過剰に反応してしまうのだろう。

ファンタジーだからこそリアルに伝わる愛の存在

この映画の面白いところは、マチルドの抱えている不安や恐怖、心の叫びをファンタジーとして表現していることだ。

ひとつは、マチルドと思われる少女が水中に閉じ込められたシーンが何度か登場するのだが、それは母親の奇行を認めたくない、普通の母親だと思いたい、現実と向き合いたくない、そんなマチルドの心のもがきとも捉えられる。

もうひとつは、マチルドの友だちとして、よき理解者として、彼女を導くフクロウの存在だ。その可愛らしさとマチルドとしか会話ができないことからファンタジー的な香りがぷんぷん漂っているのだけれど、実はこのフクロウというキャラクターにマチルドの本心が隠れているのではないか? という見方をすると、ものすごく深い物語に見えてくる。

マチルドとフクロウはテレパシーのような感じで会話するのだが、フクロウのアドバイスが何とも的確だ。マチルドが癇癪を起こしてお皿を投げるシーンがあり、そこで命に関わる危険な出来事が起きてしまう。その時のフクロウの助言とマチルドの行動のシンクロがすごくて、まるで彼女が自分自身に言いきかせながら苦難を乗り越えようとしている、そんなふうにも見えてくる。

という感じで、最初はファンタジー要素を絡めることでマチルドの厳しい現実や悲壮感を和らげているのかと思っていたのだが、いやいやどうして、水中のシーンやしゃべるフクロウの描写 によって、マチルドの想像力、生きる力、賢さがより際立っている。そして最終的にたどり着くのは母親への深い愛、絶対的な母親への愛が力強く描かれていて、母を思う娘の気持ちは自分自身の母親に対する愛憎と重なる。だから彼女の存在が私たちをザワつかせるのだ。

寄り添うのも愛、見守るのも愛、離れることも愛──愛し方は人それぞれ違う、ということを小さなマチルドから改めて教えてもらった。

文:新谷里映