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HOME SPECIAL あたらしい演劇の最前線-ONE MOMENT,ONE STAGE 神楽坂の路地で、誰かの物語に入り込む。『記憶の質屋 ほの灯り堂』体験レポート
神楽坂の路地で、誰かの物語に入り込む。『記憶の質屋 ほの灯り堂』体験レポート

VOL.8 神楽坂の路地で、誰かの物語に入り込む。『記憶の質屋 ほの灯り堂』体験レポート

客席から眺めるのではなく、神楽坂の街を歩きながら物語に入り込む街歩きイマーシブシアター『記憶の質屋 ほの灯り堂』。本記事では、昼の物語である芸者・華子の“夢と愛の記憶”を、友人の立場でたどった体験をレポートする。音声ARと俳優の演技、街の日常が重なりあう時間は、観光でも演劇鑑賞でもない、不思議な没入体験だった。

物語の始まりは、記憶を扱う不思議な質屋の噂から。「やり直したい〈あの日〉の記憶」を預けると、その日をもう一度やり直してもらえるという。参加者は、ふいに現れた記憶の質屋「ほの灯り堂」に自らの記憶を預け、店主から手渡された提灯を手に、神楽坂の街へと歩き出す。

本作は、観客が物語の世界に入り込み、登場人物や空間と直接関わりながら体験を進めていくイマーシブシアターだ。

昼と夜では異なる物語が用意されており、今回体験したのは昼の部。描かれるのは、神楽坂で芸者として生きる華子の、夢と愛の記憶である。華子は十六の頃、実家の反対を振り切って花街の世界へ飛び込んだ女性。芸事、とりわけ歌うことを愛し、著名な作曲家の歌謡塾にも通っている。彼女の人生には、長年支えてきた旦那・小野寺や、名の知れた作曲家・千賀といった人物たちが関わっていく。

受付は、JR飯田橋駅近くのレンタルスペース。到着すると、まずスタッフからイヤホンと和装アイテム、そして小道具として提灯が手渡される。自分に似合う和装を身につけ、提灯を持つと、日常の延長にあったはずの時間が少しずつ物語のほうへ傾いていく。神楽坂を歩くための準備でありながら、同時に“別の誰かとして街に出る”ための支度でもあるように感じられた。

ツアーは、音声ARアプリ「Locatone™(ロケトーン)」を起動し、案内されたコースの二次元コードを読み込むところから始まる。通常の演劇であれば、開演前にブザーが鳴り、客席の明かりが落ちる。しかし本作に、明確な開演の合図はない。記憶の質屋の語りが、ふいに耳元へ流れ込んでくる。突然、現実の時間に物語が差し込まれるような始まり方だ。

最初のうちは、まだどこか客観的だった。イヤホンから流れる声を聴きながら、「こういう設定なのだ」と理解しようとしている自分がいる。けれど、提灯を手に街へ出て、神楽坂の石畳や細い路地を歩き始めると、少しずつ感覚が変わっていった。

筆者が案内されたのは、芸者・華子、通称“華ちゃん”の人生を、友人の立場から追いかけていくルート。詳しい展開は伏せるが、華ちゃんの夢や迷い、誰かを想う気持ちに触れていくうちに、彼女は単なる登場人物ではなくなっていく。

はじめは「華ちゃんという人物の物語をたどっている」という感覚だった。けれど、街を歩き、彼女の言葉を聴き、その人生の節目に立ち会ううちに、いつの間にか本当に昔から知っている友人のように感じられてくる。

印象的だったのは、物語の途中で登場人物から直接話しかけられる場面だ。事前に「肯定的な反応をしてあげてほしい」という案内はあったものの、いざ目の前の人物から言葉を向けられると、正直少し戸惑った。観客として眺めているだけなら、感想は心の中にしまっておける。けれどこの体験では、自分の反応も、その場の空気をつくる一部になる。

うまく返事をしようとして少し緊張する。相手の言葉に頷きながら、次に何を言えば良いのかを考える。その戸惑いも含めて、物語の中に立っている実感があった。完璧に演じる必要はない。ただ、目の前の相手を受け止めようとする時間そのものが、体験を深めていく。

もうひとつ、心に残る場面がある。華ちゃんとともに神楽坂の街を歩いていたとき、彼女が道ゆく人に「こんにちは」と声をかけた。すると、街の人たちがごく自然に挨拶を返したのだ。相手は、普段からこの街で暮らしている人たちのように見えた。

その光景を目にした瞬間、華ちゃんは“演じられている登場人物”ではなく、本当に神楽坂で生きているひとりの人のように感じられた。街を舞台にするとは、単に路地や建物を背景として使うことではない。そこに流れる日常や、人々の気配までも物語に溶け込ませることなのだと実感した。

物語が進むにつれて、それぞれの登場人物の人生は少しずつ交錯していく。途中では、別の登場人物の人生へと進む選択肢が現れる場面もあった。筆者の場合も、華ちゃんを追いかけるかどうかを選べる瞬間があった。けれど、その頃にはすっかり彼女に感情移入していた。

華ちゃんがどこへ向かうのか。何を選び、何を手放すのか。その行方を、友人として最後まで見届けたい。そう思った筆者は、別の道へ進むことなく、最後まで“芸者の友人”であり続けることを選んだ。

昼の神楽坂は、明るく穏やかな日常の気配をまとっている。けれど、その中で物語をたどっていると、路地の奥や建物の佇まいに、過去の時間がふっと重なるような瞬間がある。観光地として眺める神楽坂ではなく、誰かの記憶が息づく場所として街が立ち上がってくるのだ。

最後にたどり着いた建物の中には、いくつもの札が飾られていた。そこに記されているのは、誰かにとっての「戻りたいあの日」。大切な人と過ごした時間なのか、言えなかった言葉が残る日なのか、あるいはもう一度だけやり直したい選択なのか。具体的な内容を知らなくても、そこには確かに、誰かの記憶の重みがあった。

自分にも、戻りたい日があるだろうか。そう問われると、すぐには答えが出ない。けれど、華ちゃんの人生を友人としてたどってきたあとでは、その問いが少しだけ自分の内側に近づいてくる。誰かの物語を追っていたはずが、いつの間にか自分自身の記憶にも目を向けている。その感覚こそが、この作品の余韻なのかもしれない。

そして公演の終わりには、手にしていた提灯を“記憶”として置いてくる。最初に受け取ったときは、物語へ入るための小道具だった提灯が、歩き終える頃には、自分がこの時間を過ごした証のように思えていた。

外へ出ると、そこにはいつもの神楽坂の街があった。けれど、歩いてきた路地や坂道は、もう体験前とまったく同じには見えない。華ちゃんと歩いた道、登場人物たちと言葉を交わした場所、街の人たちが自然に挨拶を返していた瞬間。その一つひとつが、自分の中にも小さな記憶として残っている。

街と音声ARと、生身の演技が静かに重なりあう没入体験。ネタバレになるため物語の結末は伏せるが、体験を終えたあとも、華ちゃんと歩いた道の気配は、神楽坂という街の記憶の一部として心に残り続けている。

神楽坂 街歩きイマーシブシアター『記憶の質屋 ほの灯り堂』
WEB:https://honoakarido.com/
※公演は終了しております