俳優として30年以上のキャリアを重ねる一方、株式会社AGRIKOの代表として、東京で循環型農業に取り組む小林涼子さん。二つの仕事は一見、まったく異なるように見える。しかし小林さんにとって農業は、自分自身に戻り、再び俳優として表現するための大切な時間でもあるという。キャリアに悩んだ20代で農業と出会ってから、仲間とともに都市農業の形を提案する現在まで。俳優業と農業を行き来することで生まれた、小林さん自身の健やかな循環について聞いた。
「4歳から子役として活動していたので、20代前半でもうすでに“中堅”でした」と語る小林涼子さんが、農業に出会ったのは2014年。芸歴20年に差し掛かろうとしていた頃、なかなか思うようにキャリアを描けず、悩み苦しんでいた最中だった。
小林涼子さん(以下、小林):
まわりの人たちが売れていくのを横目に、自分は役者として何をどう頑張ればいいのかわからず手当たり次第、いろんなことに挑戦していました。社交ダンスにガラス細工、乗馬やライター業など。自分の中では暗黒期(笑)。そんな中、家族の勧めで新潟での稲の収穫体験へ行ったんです。稲刈りをしたあと、そこで作っているお米を炊いて食べさせてもらったのですが、それが驚くほど美味しくて、感動しました。

何者かにならなければと焦り、手当たり次第に挑戦を重ねていた時期。新潟での米作りは、小林さんにすぐに結果を出すことを求めるのではなく、「失敗してもいい」と思える時間をもたらしたようだ。
以来、農繁期には新潟を訪れ、米作りを手伝いながら10年以上が経過する。
小林:
当時20代だった私は、新潟へ行くと「まだ若いんだから、なんでもできる!」なんて言われて、何をしても褒めてもらえる。稲刈りすることで目の前の田んぼがどんどん綺麗になっていくのを見ると充実感も味わえるんです。そんな環境で“私はまだ若いんだ、失敗したっていいんだ!”と思えるようになったんです。俳優業の現場ではもう中堅と呼ばれ、とにかく結果を出さなければと焦っていたのに、ここではまだ若手なので、がむしゃらにできるというか。新潟で農家の方々と出会い、農業そのものが大好きになったし、その時に自分の視野も広がったのだと思います。
自分を立て直すために始まった農業との関わりは、やがて「楽しい体験」だけでは終わらないものへと変わっていく。
小林:
その後、家族の体調不良とコロナが重なり、どうしても新潟へ行くことができない時期があったんです。そこで初めて“私たちが手伝わなければ、あの田んぼはどうなるんだろう”という疑問が湧いてきて。
農業の担い手不足という社会問題が自分ごとになったというか、このまま無責任に投げ出してはいけないと思いました。そしてどうしたら持続可能な形で農業を継続できるか考えた時、会社化して農業と向き合おうと思いました。

コロナ禍の2021年、小林さんは株式会社AGRIKOを立ち上げた。新潟での米作りを続けながら、東京で実現できる農業の形を考える中で、生まれ育った街の見え方も変わっていったという。
小林:
東京で生まれ育った私は、東京にはなんでもあると思っていました。しかし農業をやろうと思った時には畑や田んぼといった農地もないし、水もない。農業ってその土地の風土を活かしてやるものなので“では東京にあるものとはなんだろう?”と考えた。それは人とビル、そして飲食店が密集していることなんですね。それを東京の風土と捉えました。
そこから縁あって小川珈琲さんを紹介していただき、『アクアポニックス』というシステムを採用した農園のプレゼンをしたところ、その日のうちに「うちの屋上、使ってみる?」と言っていただけて。
そうして『AGRIKO FARM PW桜新町』をスタートさせたのが2022年の話です。

こうして2022年、世田谷区桜新町に「AGRIKO FARM PW桜新町」が誕生した。ビルの屋上で育てた作物を近隣の飲食店へ届ける「ビル産ビル消」は、農地の少ない東京だからこそ生まれた新しい農業の形だ。
2026年3月には、高輪ゲートウェイ駅直結の「TAKANAWA GATEWAY CITY」に、「AGRIKO×MIMURE BOTANICAL Lab」がオープンした。構想から完成までにかかった時間はおよそ4年。小林さんが目指したのは、東京にいながら自然と再接続できる“ニュー里山”だった。
小林:
新潟には、山菜や果物、野菜が身近にある里山の豊かさがあります。東京にいながら、そうした里山の気持ちよさを感じられて、ラボのようなスタイリッシュさやクリーンさもある場所にしたいと考えました。ここに来た人には、収穫やものづくりを通して、何かしらの“手触り”を感じてほしいんです。
農業の仕組みを見せるだけでなく、実際に触れ、味わい、疑問を持ってもらうこと。Labは、小林さんが農業と都市の間に新しい接点をつくる場所でもある。
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農業に出会って10年以上。会社を立ち上げた後も、俳優業を止めたことはない。二つの仕事を続ける中で増えたのは、役割だけではなく、ともに働く仲間だった。小林さんの話からは、すべてを一人で背負うのではなく、それぞれの専門性を信頼する姿勢が見えてくる。
小林:
振り返って大きな変化としては、なんといっても仲間が増えたことですね。俳優業と農業、会社としての活動が両立できるのは、常に理解して支えてくれるマネージャーや会社の仲間の存在が大きいです。
俳優業って明確にチームワークなんですよね。カメラマンさんやヘアメイクさん、そのほかたくさんのスタッフさんが関わることで、私自身も俳優としてお芝居に集中させてもらえる。それはAGRIKOの活動でも同じなんです。みんなが専門的な知識を持ち寄って、ひとつの目標に向かって走る。
いまだに現場で緊張するし、台本をいくら覚えてもうまくいかないことがある。キャリアを重ねるとついそんな自分が恥ずかしく、許せなくなる瞬間があるけど、農業ではまだまだ教わる立場なんです。
それが私自身をフラットにしてくれて、キャリアの長さではなく素直に目の前のことを「頑張ります!」って言えるようになりました。俳優業と農業、両方から良い相互作用を感じられるのはとても素晴らしいことだと思います。
その上で、リスペクトを込めてあえて思うのは、私は専業農家にはなれないということ。作物を一目見て収穫どきを見極められる技術はないですし、お米の収穫だって農繁期に10回ちょっとやっただけなんですよ。
そんな私ができることはやはり「伝えること」なのかもしれないと改めて考えています。農業は10年少々ですが、俳優としては30年以上のキャリアがある。年中、忙しくしている農家さんに替わって、農業の魅力やそこで作られる作物の背景を私が伝える役割を担いたいと思っています。「AGRIKO×MIMURE BOTANICAL Lab」はそのための場所でもあるんですよ。

俳優業と農業を行き来する現在の状態を、小林さんは「元気いっぱい!」と表現する。元気でいることは、決して当たり前ではない。だからこそ、美味しいものを食べ、心と体を整え、やりがいを持って働くことを大切にしているという。
小林:
俳優業ではさまざまなキャラクターを自分にインストールして表現します。時にはしんどい役もやりますが、農作業で苗を植えたりコーヒー豆の皮を剥いたり、ひたすら単純作業を繰り返していると大変な役をやっていてもスッと本来の自分に戻してくれる。
農業から自分にとって必要不可欠な“美味しい”や“楽しい”をインプットして、そしてそれを俳優業でアウトプットしている。今は両方をやることでインプットとアウトプットが近くにある、良い状態です。

さまざまな役を自分に取り込み、表現する俳優という仕事と、手を動かし、目の前の植物や土に向き合う農業。その間を行き来することが、小林さんを本来の自分へと戻し、再び表現の現場へ向かわせている。
ひとつの仕事だけで自分を完成させようとするのではなく、異なる場所や役割を持つことで、自分なりのバランスをつくる。小林さんにとって俳優業と農業は、どちらかを補うものではなく、互いを循環させながら、自分を健やかに保つ二つの営みなのだ。
【小林涼子】
4歳より子役として芸能活動を開始。NHK連続テレビ小説「虎に翼」をはじめ、数々のドラマや映画などへ出演が続いている。俳優業の傍ら2014年より農業に携わり、2021年株式会社AGRIKOを起業し、自然環境と人に優しい循環型農福連携ファーム「AGRIKO FARM」の運営やアート事業を展開。俳優・経営者の二刀流に加え、報道番組への出演やラジオナビゲーターなどパラレルキャリアで活動の幅をさらに広げている。
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