最先端のトレンドを発信し続ける街「表参道」だが、かつては全く別の顔を持っていたという。 その秘密に迫るべく「おもてサンド」ディレクターまあやさんと、歴史担当ライターの重久直子さんと街を巡ってみた。
タイムスリップ・ツアーは、けやき並木の真ん中にある歩道橋からスタート。
ここから望む並木道は、ドラマやミュージックビデオのロケ地としてよく使われている。この日はあいにくの天気だったが、色づいたけやき並木が美しくこれぞ表参道という景色が広がっていた。
洗練された街並みから「日本のシャンゼリゼ通り」などと言われる表参道だが、昭和初期までは豊かな自然が残っていたのだとか。
「表参道は、明治天皇とその奥様・昭憲皇太后をお祀りするために創建された明治神宮の表の“参道”として、昭和9(1920)年に開通しました。それ以前、この辺りには、江戸時代に広島藩を治めていた浅野家の、広大な下屋敷が広がっていたそうです。青山方面にあるユニオンチャーチあたりからこの歩道橋の左手にある表参道ヒルズの裏側にかけて、『鐙の池』と呼ばれる細い池があったようです」
と重久さん。
「鐙の池の南側には小高い丘があって、お屋敷の名前をとって『浅野山』と呼ばれていたそうです。表参道をつくる際に切り崩され、土が崩れ落ちないように石垣を作ったといいます。それが今、『ポール・スチュアート』のお店が入っている場所で、石垣は表参道ができた当時のままのものだという話もあります」
とまあやさんが教えてくれた。
大名屋敷、池、そして丘……。
海外のブランドショップが建ち並ぶ今の町並みからは全く想像できないが、わずか100年前は「江戸の名残を残す東京ののどかな郊外」という風情だったという。
表参道のシンボルであるけやき並木は、もともと明治神宮ができた翌年1921年に植えられたもの。しかし、太平洋戦争最後の年の1945年5月の空襲で、201本のうち13本のみを残して全焼。今のケヤキのほとんどは戦後に植え替えられたものだという。
エリア: | 東京 / 表参道・原宿 |
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住所: | 〒107-0061 東京都港区北青山3丁目6−12 表参道駅 |
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