東京の暮らしは、カルチャー・ファッション・グルメまでが揃い、不満を感じる瞬間はそう多くない。しかし、WELL-BEING(=幸福)を軸としたとき、心から満足といえるかだろうか? 東京でWELL-BEINGに生きるヒントをコミュニティの専門家とともに考えてみた。
お金や名誉、権力だけが幸せの近道じゃないなんてわかりきった話。では、経済的な豊かさの先にある本当の幸せって何なの? そんな一生かけても答えなんかでそうにないお題があって、世界的に「WELL-BEING」という言葉が見直されてきている。
“Health is a state of complete physical, mental and social Well-being and not merely the absence of disease or infirmity.( 健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。※日本WHO協会仮訳)”
これは1948年に施行されたWHO(世界保健機構)憲章の中にある健康の定義だが、日本語ではいわば“幸福”と言い換えることもできるだろう。
ところで、「日本人は幸福度が低い」なんて巷で言われることもある。現に国連が発表した「World Happiness Report 2019」で、日本は104カ国中58位。確かに高くはない。
けれど、本当にそうなのだろうか? 東京都市大学の坂倉杏介先生によれば、近年のWELL-BEINGにまつわる研究は欧米人をベースに進んでいるため、そのまま日本人に当てはめようとしても、幸福度の尺度が異なるのでベストな回答は望めないというのだ。
「欧米人は社会の中で自分の価値や自尊心を高めることで幸せを感じることが多いのですが、日本人は調和の中で仲間と一緒に目的を達成することで幸せを感じる傾向が強い。つまり、『I』より『We』な社会といえます」
坂倉先生が考えるWELL-BEINGの心理要因は、3つにわけられる。個人に関する「I」、他者との関わりの「We/Society」、それらを超越した「Universe」だ。
このなかでも日本人は、「人とのつながり」によって幸せを感じやすく、「We」が強い。とはいえ、ただつながりができるだけでWELL-BEINGが実現するわけでもない。
「『つながり』にもいろんな意味があると思います。しかし、WELL-BEINGに関するどんな研究でも『良好な関係』は欠かせないと言われる。これがないと人間は充実感を得ることができないんです。ところが、現代人は『つながりはあったらいいけど、なくてもいいんじゃないか』と思う人が多いし、むしろつながりがあることで煩わしいとか面倒だと感じている節もあります」
確かに、ちょうど良い塩梅の“つながり”をイメージするのは難しい。弱いと相互関心が弱くてシナジーが生まれないし、逆に強すぎるとしがらみが発生する可能性もある。
では、この東京でWELL-BEINGを築いていくうえで、どのような心持ちで人と繋がることが必要なのだろうか。
「東京で働く人の多くが『時間が足りない』と感じていると思います。その足りない分を、行政や民間のサービスに委ねるようになるのですが、ふと我に返ったときに『これって本当に望んでいた暮らしなんだっけ?』と考えるはず。本当は仕事とプライベートのバランスをとりながら生きていたいはずなのに、と」
「他人に委ねるものが増えていくと、自分でコントロールできることが少なくなり、ジレンマに陥りやすいんですね。だからこそ、WELL-BEINGには自立性も大切な要素に含まれます。たとえば世田谷区では、区長が『観客からプレイヤーへ』というスローガンを掲げている。要は行政や民間が提供するサービスを利用するだけにとどまらず、自らサービスをつくり出すプレイヤーになったほうが良いよ、と言っているわけです」
坂倉先生によれば、「享受するだけの幸せ」には限界があるという。だからこそ、自分から動き出すことが求められるのだ。
さらに東京は、どちらかというと情報過多な場所。しかし、自分から動かなければ、多様な人との出会いを実現することは難しい。
「地方だと小さい経済圏が形成されているため、様々な立場の人が、物理的にも心理的にも近い距離にいます。たまたま会ったのが農家だということもある。それは、つながりの多様さにつながります。でも、東京だと特定の業界内で知り合う分には簡単だし、膨大な数がいるけれど、それ以外の人と知り合う機会がほとんどない。だから、意図的に出会っていく必要があるんです」
そんな出会いを作り出す場の好例として、坂倉先生があげたのが、世田谷の駒沢にある『ふかさわの台所』だ。
「築50年ほどの一軒家をリノベーションしたコミュニティ施設です。ここは、建築家の旦那さんと編集者の奥さんが営んでいて、彼らは地方出身で共働き。しかも、お子さんも育てていらっしゃる。この状況だと生活が破綻してしまうということで、様々な人が集まれる場所を自分たちでつくったんです。その後、どうなったか。最初はこどもを誰かに見てもらうための場所として利用する予定でしたが、現在は近所の人たちが集う憩いの場になっています。そこでは様々な立場の人がつながり合うになったんです」
こうした事例以外にも、特にここ数年は人と人が巡り合う場所を求める声が高まってきている。その理由について坂倉先生は次のように分析する。
「昔は地域のコミュニティがあったし、会社も面倒見がよかったから、わざわざ自分の居場所を探す必要がありませんでした。しかし現在は、終身雇用が破綻して会社は個人を守りきれないし、個人の会社への帰属感も薄まっている。仕事以外で人に出会う機会も減っています。その一方で、SNSやマッチングサービスなどが発展したことで、あらためてリアルな場へのニーズが顕在化しているのではないでしょうか」
インターネットなどデジタルな場だと偶発的な出会いが生まれにくい。その点、リアルな場は思いがけない巡り合わせが起こることも。そうしたセレンディピティに期待する人が増えているのかもしれない。そして、東京は出会いの場としてはうってつけの場所だという。
「東京の魅力は、地方のようにどこの誰かを表明しなくてもコミュニティが成立する点です。しかも、どんなにマイナーなテーマであっても人が集う可能性が高い。趣味で繋がるのもいいし、お酒を飲むだけの仲でもいいと思います」
こうしたコミュニティでWELL-BEINGを得るためには条件があるのだとか。
「重要なのは、ただ楽しいだけではなく、その集まりのなかで何でもいいから自分の役割を持てる関係を築くこと。能動的に社会と関わることで生きている実感が湧き、自然とWELL-BEINGな状態になれますよ」
幸福度を具体的な数値で測ることは難しい。しかも、個人にとってのWELL-BEINGな状態は日々変化する。一度手に入れたからといって、未来永劫続くわけではないのだ。
だからこそ、「自分にとってのWELL-BEINGは何か?」を常に考え、探求し続けることが必要になってくる。
「数年前まではある成功モデルが薄っすらと社会のなかで共有されていましたが、今はそういうものってほとんどない。だからこそ、他人の価値観に左右されるのではなく、自分にとっての幸せを探求していく必要があるんじゃないかなと思います。特に現代社会は、誰かが決めた『こうしたほうがいいよ』という意見に合わせて、みんなが少しずつ我慢している状態が多い気がします。それで誰かに不幸が訪れると、自己責任論が持ち上がる。これって気持ちのいいものではないですよね。もちろん、全員がやりたいことを実現しようとするとカオスな状態になり得るのですが、『私はこうしたい』と主張するところから対話がはじまったら、社会は少しずつ変わっていくのではないでしょうか」
村上広大=取材・文
きくちよしみ=写真
庄子明寿香=図版イラスト
幸福学の創始者と言われるエド・ディーナー。彼は2008年までの34年間、イリノイ大学の教授を務めた人物だ。中でも有名なのが、5つの質問に答えることにより、人生の幸福度を測ることができる「人生満足尺度」というものがある。
2011年に慶應大学・前野教授が行なった日本人に対する調査の結果もあるため、比較してみてはいかがだろうか。もちろん、点数が低くても悲観することはない。なぜなら、ここから幸福度を向上させられる可能性がそこにはあるからだ。