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'この世界'からは降りられない 朝井リョウ インタビュー

作家・朝井リョウさんと考える、SNSのある世界との距離の置き方。最新作『死にがいを求めて生きているの』で描かれる「平成の対立」というテーマから、この世界の漠然とした煩わしさの正体の話まで。

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‘見えない対立’の中を生き抜くこと

死にがいを求めて生きているの

朝井リョウさんの最新作『死にがいを求めて生きているの』は「平成の対立」がテーマ。一見、対立がなさそうなこの時代に、朝井さんは僕らの心の中にある‘見えない対立’にその答えを見い出した。

自分らしさという呪い

自分らしさとは、自分が好きなものや幸福に感じることを自分の内面に問いただして、最終的に自己肯定することで確立していくものだと思う。他人との比較の中に求めているうちは、いつまでたっても自分らしさにたどり着けない。でも、自分のことを理解しようとするときに、まずは、他人との比較から始めざるを得ないという矛盾。そこが自分探しという迷宮の入り口だ。多くの人が一度は経験しているかもしれないこの状況について、朝井さんは作品の中で「平成の対立」として可視化した。

「プロットを書いていた2014年ごろは、いざ平成を舞台にして対立をテーマに書くとして、本当に何も思いつかなかったんです。むしろ、対立や競争の中でのし上がっていくというよりは、『みんながオンリーワンであることが素晴らしい』という考え方に心当たりがありました。個人的には『個性を大事に』とか『人と比べるのではなく、個性を伸ばそう』と言われてきた実感があります。でも、『オンリーワンでいい』と言われた先、『じゃあ、どうすればいいのか?』と迷子になったり、『オンリーワン地獄』に嵌まっていったりする。『競争しなくていいんだよ』、『人と比べなくていいんだよ』『自分のものさしで』と言われてきた実感があるけれども、そもそも人間は他人と比べないと自分のことを理解できないし、ものさしはそれ単体で存在することはできません」

オンリーワン地獄。まさに「他人と比べずに、他人との違いを出す」という矛盾の中で、自分らしさを持たなければいけないという不条理を的確、かつグロテスクに表現している言葉だ。個人的な悩みのレベルを超えて、社会の要請としてこの地獄を提示されていたということは、確かに平成という時代のひとつの象徴であったのかもしれない。

「そこで止まればまだしも、その先にあるのが、自ら対立軸を生み出すことでしか、自分の存在や価値を把握できないという感覚。ヘイトスピーチはその典型かもしれません。『その芸能人が日本人じゃないからといって何故そんなに怒れるの?』と思うこと、多いです。また、自分の社会における価値について考えすぎると、自滅思考に陥る危険性も高まります。私はそのタイプです。対立がない世界ゆえの自滅思考を書くことで、逆説的に平成の‘対立’を浮き彫りにできる予感がありました」

『死にがいを求めて生きているの』の登場人物たちは、自ら生み出した対立構造の中で、最終的に狂気にも満ちた言動をエスカレートさせていく。しかし、それらは元々、ささやかな自尊心と羞恥心からくる「嘘」から始まっていたりする。それはまさに、誰しもが持っている普遍的な感情なのかもしれないと感じさせる展開だ。実際朝井さんも、平成の対立は社会的動物である人間の中にいつも備わっている心象なのだと語る。

「書きながら、中島敦の『山月記』を思い浮かべていました。作品の中にある『自尊心と羞恥心に負けた主人公が虎になる』という話は、1942年の作品でありながら平成の対立と同じことを語っているのだと改めて感じました。だから『死にがいを求めて生きているの』は、時代を超えて描かれている心象を、今のアイテムと今の言葉で書き直しているとも言えます」

生きる意味や価値を感じるのは心の部分であって、論理ではない。

作品の中で登場人物たちが、自尊心と羞恥心のやり場のなさを吐き出すための‘ネタ探し’をする。この‘ネタ探し’の内容は、まさに‘今のアイテム’であり、この時代ならではの指向性を感じる。彼らの多くは、“ソーシャル・グッド”、いわゆる社会貢献や‘善いこと’への憧れを持ち、その正義を声高に主張することで「善いことと悪いこと」の対立を誇張し、その中で自分の存在意義を見い出そうとする。それこそ、平成の時代に特異な要素かもしれない。

「やはり『人の役に立つ』ということが、自分の命の価値を感じやすいですよね。でも、『人の役に立ちたい』が起点だと、その行為が少しでも行き詰まると『自分はもう無価値なんだ』と感じてしまう危険性がある。世界に向けて善いことをしている人を否定したいわけではありません。ただ、生きる意味や価値を感じるのは心の部分であって、心の部分は論理ではないと思うんです。例えば、すごく明るい人が出てくるハッピーな話を読んで『明日死にたい』と思う時もある。心で感じることは論理じゃない。社会に貢献している人の命のほうが高い価値だと感じるというのは、論理で繋げてはいけないことを論理で繋げてしまっている気がするんです。そこから返ってくる、『自分の命は無価値なんじゃないか』というのも、本来は繋がらないはずの部分を論理で繋げてしまっている現象です。論理的ではない心の動きを書けるのが小説なのだという想いもあって、この作品が生まれたのかなと思います」

作品の中では、その想いの一部に、気づいている人物も登場する。行き詰まった時に、生理的なものや感覚的なものに幸せを感じている記憶がフラッシュバックするようなシーンがある。そんな言語化出来ないシンプルな幸福感の存在に気づく。しかしそれらは内面的なものなので、対外的に「人との違い」を出せる類いのものではない。そんな自分らしさの真実に気づきかけた時、登場人物たちはどんな行動にでるのか、作品の中で注目して読み進めたい部分のひとつだ。

 

(第3回に続く)