「詩」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう?もちろん好きだという人もいれば、幼少期に学校の教科書で読んだきり触れていない、という人も少なくないだろう。確かに、詩を読むことは、読書ほど身近だとは言い難い。しかし最近は、SNSで「詩」がバズることがあったり、お隣の韓国では若い世代を中心に「詩」がブームだったりもするらしい。
日常的に「詩」を楽しんでいる人と、「詩」を読まない人の違いはどこにあるのか、私たちにとって「詩」とはどんなものか、そんな疑問を探るために、日本全国の20~40代の男女計337人にアンケート調査を実施してみた。
そもそも「詩」を日常的に楽しんでいる人は、どれぐらいいるのだろうか。アンケートによると、「読む」と答えた人はわずか26.1%、「読まない」と答えた人は73.9%だった。
●あなたは詩を日常的に読みますか?
予想通りの結果といえばそうかもしれない。読書は好きだという人でも、普段から詩を読んでいる人は少ないのではないだろうか。
日常的に詩を読まない人たちにその理由を聞いてみると、最も多い回答は「難しい」だった。基本的に話の筋道がある小説と違い、表現が自由な詩は、必ずしもわかりやすいとは限らない。むしろ難解でとっつきにくいイメージがある。
●「詩」を読まない、好きではない理由があれば教えてください。
しかし、注目したいのは「興味はあるが、どう読めばいいのかわからない」という回答が次に多いということ。詩に対して拒否反応があるわけではなく、「興味はある」という点に希望を感じる。
思えば、学生時代に教科書で詩に触れることはあっても、大人になった今、日常的に詩に触れる機会は少ない。小説や音楽だったらふとした瞬間に出会いやきっかけがあるけれど、詩は、自ら出会いにいかなければ、なかなか距離が縮まらないのだ。
そもそも「難しい」詩を、わざわざ読む必要があるのか、という意見もあるだろう。実際、アンケートでも、「興味はあるが、他の興味のあることや仕事があるので、時間がない」「読む機会がない、他に楽しい娯楽がある」といった声が聞かれた。
文芸評論家・三宅香帆の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社新書)という本が、昨年の発売から話題となっている。それによると、人は忙しい状況にあると、自分を守る対処として、自分がコントロールできないことは切り離し、自分がコントロールできる行動に集中するようになるという。
例えばスマホゲームやSNSは、自分がコントロールしやすい情報であるのに対し、本から受け取る情報は、ほしい情報を得るまでに余計な情報=ノイズが多く、自分でコントロールもできない。忙しく疲れているときは、そうしたノイズを受け入れる余裕がなくなるというのだ。
そうなると、そもそも情報伝達を目的としていない詩など、なかなか手が伸びないのも納得だ。インターネットには手軽で効率的、欲しい情報だけを得られる、魅力的なコンテンツが山ほどあるのだから…。
とはいえ、他者と共に生きる必要のある社会はノイズだらけだといえる。著者は、「ノイズがある本を読むことは他者の文脈を自分に取り入れること」だと述べている。そして、ノイズを排除しない姿勢が、他者への寛容さにもつながり、自分や周りの心地よさを築く上で役にたつという。ただ、そのためにはやはり「余裕」が必要になるだろう。
常に時間に追われ、なかなか余裕を持つのが難しい、私たち現代人。アンケートで「日常的に詩を読む」と答えた人たちは、いったいいつ、どんな時に、詩を読んでいるのだろうか。
●あなたは、どんなときに「詩」を読みますか?
意外なことに最も多かった答えは「朝起きて」で30.7%だった。数年前から、朝のわずか10分間の読書が自分の仕事の成果や業績につながり、頭の中も整理され、さらには人脈にまで効果が現れるなどと、朝の読書をすすめる本も増えている。社会人の朝活として読書会も人気なのだとか。詩にもそのような効果があるのかはわからないが、“1日の始まり”という特別な時間に、詩を読むという行為は、どこか気分を上げてくれそうな気がする。
「アエラスタイルマガジンVOL.52 SPRING / SUMMER 2022」に掲載された、写真家の藤代冥砂による寄稿「朝は詩に乗って。」に、こんなことが書かれていた。
「近頃、私は毎朝詩を読んでいるのだが、これがまさに日々の意識的な旅の起点となっている。」
朝起きて出会う一篇の詩の言葉が、その日1日をいい気分で過ごすための、まさに旅のお守りのような存在となったらとても素敵だと感じる。
他に「吐露したいとき」「感傷に浸りたいとき」という回答もあった。日々頑張る人こそ、そんな気分になることがあるだろう。それまでピンと来なかった詩の言葉が、急に心に刺さることもあるのかもしれない。詩を通じて言葉の世界に浸ることは、自分自身と向き合うきっかけにもなり得そうだ。
アンケートの回答では、「一息つくとき」詩を読んでいると答えた人も18.2%いた。ただ楽しいからとか、面白いからということではなく、癒しを得るために言葉に触れることがあるということだ。
忙しくても、他に魅力的なコンテンツがあっても、詩を読む人はいる。その人たちは、詩からどんなことを得ているのかを聞いてみた。
●「詩」を読むことからどんなことを得ていますか?
51.1%と圧倒的に多かったのは、「知識・学び」のため。わかりにくく、効率的でもない、詩だからこそ学べることがあるのだろうか。先程紹介した藤代冥砂による寄稿「朝は詩に乗って。」では、こんなことも述べている。
「詩人の本を一冊読破するということは、慣れないと結構辛い。鈍行列車で、ちびちび旅するようなもので、日常のペースに合わない。
〜中略〜
気に留まった言い回し、言葉づかい、それらをメモしても、実際に何かに使われることはまず無いのだが、目的地に向かう列車の窓から遠くに見えた家の、束の間の庭が投げる郷愁のように、心のどこかに納められて、私の一部となることは間違いない。」
「詩」は必ずしも共感できるものばかりではないし、難解で無意味なものだと感じる人も多いかもしれない。それでも、私たちは「詩」に心を動かされることがある。「心が動く」というのは、とても人間的な反応ではないだろうか。心が動いた先には、AIには理解できない複雑で美しい世界が広がっているかもしれない。今の時代を生きる私たちに「詩」は何を教えてくれるのだろう。
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